設定でなく日常を撮る/『最強のふたり』(2011)
感想
中盤のダンスシーンが本当によい。(こう書くと黒人性神話っぽいけど、)自然と体を揺らしてしまう音楽は、あって、そのリズムは伝染していくのだけど、頸椎損傷のフィリップには音楽にのまれることができない。誰もかれもリズムをとるなかで、かれはほんの少し頭を揺らしてみたり、笑ったりすることしかできない。疎外がそこにある。
下手をするとお泣かせなシーンになってしまいそうだが、しかしフィリップにとって、体が動かないことは日常だ。だから画面自体に感傷は(まったく)ない。なのにカット割りというか踊る人物を映すそのしかたが、なぜだか「この視界はフィリップの視界なのだ」と確信させる(カンチガイじゃないと思ってる)。悲しみはどこにもない。誕生日パーティ。アースウィンド&ファイア。体を揺らす老若男女。なのに確かに、かれらとフィリップの間には明らかな障壁があるのだ。スクリーンとその前の観客のような……。
フィリップにとっては目に映るもの(そして耳(笑))がかれのすべてだ。ぼくはいま彼のすべてになっている。
本当に泣きそうになってしまった。
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公開 2011年 監督 エリック・トレダノ